人とかかわるということ。
西村佳哲さんの本は出版されるたびに、全て読むようにしている。
そうするようになったきっかけは、鈴木雄介さんのブログエントリ
だったと思う。
今回の、『かかわり方のまなび方』はこれまでの中で、最も自分の
琴線に触れるものだった。
ファシリテーションとの出会い
というのも、最近「ファシリテーション」や「参加型の勉強会」が
果たして今のままで良いのかという疑念を感じていたからだ。
私がファシリテーションと出会ったのは、4年くらい前のことで、
海外沿いのSIerに居たころだった。そこで、若いのに実にいきいきと
場をしきり、場を作る同僚と出会い、彼が「ファシリテーター」
なのだということを知り、羨望に近い感情を持ったことを
覚えている。
それから、ファシリテーションに関する書籍を読みあさり、
ファシリテーションに関する勉強会に参加するようになった。
世の中も、ファシリテーションの書籍が溢れ出す時期で、
すぐにブームになった。
ファシリテーションへの疑念
ファシリテーションへの疑念を最初に持ったのは、勉強会を
自分で開催するようになって、しばらく経ってからだった。
一方通行の勉強会ではなくて、双方向のやりとりがある
参加型の勉強会に、より学び甲斐があると感じて、その
スタイルを貫いてきた。そこにはファシリテーションが
つきものになる。
確かに、勉強会のシナリオを組んで、事前に入念に準備する
ことで、勉強会は上手く行っているようにみえた。
参加者からも良い感じのリプライが寄せられている。
ところが、シナリオを組み、企画を作り込む程、違和感を
自分の中に感じるようになった。
予定調和に物事が進む。別の見方をすると、それは予め
決められたシナリオをみんなでなぞっているのに
すぎない。
そこに、予め決められたこと以上の何かが本当に
生まれているのだろうか。
自分の中に生まれる本当の気づきとは、他の誰かが
与えてくれるようなものではない。他者との相互作用の
中で、自分で自分の中に発見するものではないか。
そして、それを他人が予測して、計画的に生み出すことが
出来るとは思えなかった。
次へ進むために
作り込み自体を否定する感覚ではない。
勉強会を始めた当初は、自分を含めた多数の参加者が
他者との関わり合い方に慣れていなくて、何らかの
強力なフレームが必要だったのは、確かだ。
ただ、我々が、人との関わり合いの中で、次の一歩を
進み出すタイミングに来ていると捉えるならば、
まさに、そのフレームから脱する必要があるのでは
ないか。
その次の一歩とは、主体をより、自己に近づけていく
ことだと、私は思う。
そのための、ファシリテーションのあり方とは
どういうものなのか。
西村さんの本を読んで、考えるきっかけとなった。
まだ、きっかけだけで、具体的なアクションは
思いついていない。
(本にヒントはある。自分の言葉にまだできていない)
だた、疑念を感じていた、ファシリテーションという
ものを見直せる気になったのは、大きな変化であり
久しく失せていた期待感を思い出させるものだった。